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”歩いて巡拝(まいる)知多四国”
第4回コース(距離9.0km)
開催日: 平成20年4月19日(土)
受付: 知多半田駅 (受付時間/8:30〜10:30)
コース: 知多半田駅(スタート)──(54)海潮院(外)東光寺(外)海蔵寺(18)光照寺(19)光照院(20)龍台院(21)常楽寺…青山駅(ゴール)
<凡例>  … 徒歩
 ── バス
  〜 船
(00)札番 (外)番外
(開)開山所
 
交通: 河和線「知多半田」駅下車
(名鉄名古屋駅から約30分)
運賃: バス/知多半田駅〜海潮院 300円

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参加方法・コース 名鉄中部支配人室 TEL 052-882-8697 (月〜金曜10:00〜17:00/土日祝は休業)
電車の時刻・運賃 名鉄お客さまセンター TEL 052-582-5151(月〜 金曜8:00〜19:00/土日祝8:00〜18:00)
当日の開催可否 名鉄太田川駅 TEL 0562-32-0236
第54番札所 亀嶺山海潮院 (曹洞宗) 「54番札所がどうしてここに?」 誰もが持つ疑問ですが、54番はもと美浜町野間の竜松院(廃寺)にあった。
その後、大師像と共に内海の慈光寺に写され、半田市亀崎にあった慈光寺の説教所に再び移され、因縁の深い海潮院に仮安置され、明治34年11月正式に寄付された。
大正元年二月二十一日、当寺大師尊の御前で、愛知県東春日井郡水野村の、加藤鉄次郎氏の見えぬ両眼が突然見えるようになり、お礼代わりに開眼の杖が残されております。
亀崎潮干祭は毎年五月三・四日に行われます。
御本尊・釈迦牟尼仏
亀崎の 海潮院に 波静か 釈迦牟尼仏の まもりゆたかに
半田市亀崎町1丁目130番地
電話:0569−28−0549
年弘法 亀宝山東光寺 (西山浄土宗) 東光寺の開創は明治36年(1903)  東光寺を開いた中村誠感上人は、西尾市の農家に生れましたが、道心已み難く、大浜の海徳寺の弟子となりました。
そのときから一寺建立を念願しておりましたが、その後、明治33年縁あって今の所にに説教所を開き、次いで和歌山市永山にあった東光寺から寺号と本尊を移し寺が設立されました。
上人が東光寺を開いた所以は、この地方の弘法信者のため大師をまつりたいということでした。
上人は三体弘法大師、歳弘法六十二体、四国八十八ヶ所各寺の本尊の写しなどを次々と迎えられました。
 上人がつくられた多くの大師像はあまり他では見られないものです、このあたりでは最大級の立像の三体大師、歳弘法のなかの全身金色の像などがそれです 明治43年、この弘法堂に大師さま誕生から入定までの62年間をあらわした62体の大師像が祀られた。
弘法堂は昭和55年11月に落慶した。
御本尊・阿弥陀如来
亀崎の 高台にして 東光寺 阿弥陀如来が 結縁の寺
半田市亀崎月見町3丁目14番地
電話:0569−28−2622
奥之院 清涼山海蔵寺 (曹洞宗) 延徳元年(1489)に開創。
第2世田翁和尚は神通力を持つ非凡な名僧で、その神通力によって、高野山の大火を知り、境内に水をまいて祈祷し、その大火を防いだという言い伝えがあります。
そのことによって、高野山から「蓮糸の法衣」をさずかり、今も寺宝となっています。
御本尊・釈迦牟尼仏
奥の院 高野の山に 変わらねば 真心こめて頼め諸人
半田市乙川若宮町25番地
電話:0569−21−0623
第18番札所 開運山光照寺 (時 宗) 興国3年(1342)に源親房が建立という元のお寺は八幡神社の海岸にあったが、文化5年(1808)、紀州徳川家の支援によって現在地に移転jした。
別堂の観音堂に安置する秘仏本尊「十一面観世音菩薩」は、亀崎沖で漁師の網に掛かり引き上げられた御像を迎え、祀ったという不思議な由来を伝えています。
清水次郎長が半田亀崎で、旧敵と戦う前に心願をかけた地蔵が、此の境内に移されており「勝軍地蔵」「次郎長地蔵」として信仰。
<次郎長地藏> 清水の次郎長が仇敵穂北の久六を呼び出して乙川畷(亀崎街道)で待ち受けた時、その一戦の前に道脇の地藏に心願をかけ、勝利を願ったという。
当寺より約一キロ先に(外)海蔵寺がありまして、毎年五月八日・九日には花のとうが修行され露店が並び賑わいをみせています。
御本尊・阿弥陀如来  別堂・十一面観世音菩薩
乙川の 清き流れに 面影を 写せば胸の 垢や落ちなん
半田市乙川高良町120番地
電話:0569−21−1589
第19番札所 前明山光照院 (西山浄土宗) 慶長10年(1605)開創、海辺の芦の原だった現地に前の山より土砂を運び境内を整え、前明山と号した。
娘十九歳の厄落としの寺として知られて居り、諸願成就を占う抱き弘法・願成就の証拠とした願掛け千体地蔵尊が祀られています。
下半田の観音様は庫裡東、八月十日の御縁日(九万九千日)には御開扉となり、諸願誓就をとり行っています。
御本尊・阿弥陀如来 別堂・延命地蔵菩薩・聖観世音菩薩
大慈悲の 光を照らす 地蔵尊 救ひ給へよ 此の世后の世
半田市東本町2丁目16番地
電話:0569−21−0696
第20番札所 萬松山龍台院 (曹洞宗) 天正元年(1573)開創 当時は一観音堂に過ぎなかったが、慶応元年曹洞宗として開山され整備された。
弘法堂の南に「萬松稲荷」が祀られています。
かっては横須賀にあったお稲荷様ですが、夢のお告げにより当寺に移され、霊験あらたかと多くの参拝者が訪れ手足の御不自由な人を救われる「手足弘法」として、信者が多く、先代住職が桃太郎帯と名付けた安産帯が残されております。
御本尊・十一面観世音菩薩
千歳ふる つるの林の 大悲閣 えんぶだごんの 光輝く
半田市前崎東町35番地
電話:0569−21−0994
第21番札所 天竜山常楽寺 (西山浄土宗) 文明16年(1484)諸国遊化の途中、立ち寄られた空観栄覚上人が応仁の乱の戦没者供養のためにと発願、開創された。
家康ゆかりの常楽寺。
第8世典空上人の母は家康の母 伝通院の妹で、上人と家康は従兄弟の間柄だった為、桶狭間の合戦と本能寺の変の折、家康は難を逃れてここ常楽寺に立寄っている。
家康ゆかりの常楽寺と云われる様に家康拝領の寺宝が多数ある。
阿弥陀如来 頭部内面に「弘長3年(1263)7月 法橋円覚作」の墨書銘があり、銘の少ない鎌倉時代の仏像の 典型とされ、 国指定重要文化財となっています。
心の港であります常楽寺は、「法然上人御筆住蓮房血流名号」をはじめ、家康公拝領の数々寺宝が伝来されております。
近くに当寺全身の仏性寺仏像を祀る西薬師堂、観音堂があり六体の仏像は市文化財となっています。
御本尊・阿弥陀如来 別堂・聖観世音菩薩
常楽の 彼岸にやがて 到らまし 御名唱ふるは 報恩のため
半田市東郷町2丁目41番地
電話:0569−21−0268
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