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”歩いて巡拝(まいる)知多四国”
第5回コース(距離12.0km)
開催日: 平成20年5月17日(土)
受付: 知多武豊駅 (受付時間/8:30〜10:30)
コース: 知多武豊駅(スタート)…(22)大日寺(23)蓮花院(24)徳正寺(25)円観寺(開)葦航寺(開)葦航寺(26)弥勒寺…河和駅(ゴール)
<凡例>  … 徒歩
 ── バス
  〜 船
(00)札番 (外)番外
(開)開山所
 
交通: 河和線「知多武豊」駅下車
(名鉄名古屋駅から約35分)
運賃: バス/誓海寺・禅林堂〜内海駅 200円

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電話:(052)622−8576
参加方法・コース 名鉄中部支配人室 TEL 052-882-8697 (月〜金曜10:00〜17:00/土日祝は休業)
電車の時刻・運賃 名鉄お客さまセンター TEL 052-582-5151(月〜 金曜8:00〜19:00/土日祝8:00〜18:00)
当日の開催可否 名鉄太田川駅 TEL 0562-32-0236
第22番札所 御嶽山大日寺 (西山浄土宗) 本尊、大日如来は室町期の作で別堂にお祀りする十一面観世音菩薩は、藤原仏の手法が認められます。
毎年三月の第一日曜日が縁日、大日如来の年一回の御開帳、伝承されております諸行事が盛大に修行され参拝者で賑わいます。
申、未年の守り本尊。
ここ大日寺のご本尊は天平年間に創建された当時七堂伽藍三百坊の僧堂を有した知多尾州 第一の巨刹といわれた御嶽山光照院(西浦本宮山麓にあり)に奉安されていた大日如来様です。
永禄年間の織田、今川の戦いで一山ことごとく炎上した時、今の大日池に埋められました。
それから97年後の明暦年間に長尾村領主 大嶋氏自ら奉行する池の灌漑工事中に発見され ここに移されました。
以来、明治初年まで300余年年間、長尾村の支配寺でした。
御本尊・大日如来 別堂・十一面観世音菩薩
まんだら界 洽く照らす 御仏の 功徳長尾の 大日寺
知多郡武豊町字ヱケ屋敷69番地
電話:0569−72−0285
第23番札所 意竜山蓮花院 (西山浄土宗) 永禄3年(1560)桶狭間の戦で、半田市の常楽寺へ逃げ込んだ家康の馬前を払った因縁により、山号をいただき寺の風格を持ったという。
応仁の戦乱に苦しむ庶民の難儀を自身で負わんとした旅の僧が、この地に草庵を結んで水田を開き農民に新しい耕作を教えた。
御堂の前に歴史を称える「明星井」があります。
江戸時代に刊行された「尾張名所図絵」には、「明星水、弘法大師此井ヲ掘リテ護摩ヲ修セラレシトゾ」と、井戸の由来について記されています。
当寺では今も、古くからの習わしにのっとり、此の水を仏様にお供えいたしております。
  試験合格、安産、身体、心願等に御利益があります「張子大師」も有名です。
御本尊・阿弥陀如来・観世音菩薩・勢至菩薩
寺の名に 因む一蓮 托生は み名を称ふる 口にこもれる
知多郡武豊町字ヒジリ田27番地
電話:0569−72−0102
第24番札所 慶亀山徳正寺 (曹洞宗) この寺は源義朝を殺害した長田忠致の末裔にあたる徳正道慶居士(永正16年没)が寒村のこの地に祖先の罪の償いと供養の為にと小庵を結んだという。
その後、子安地蔵尊を祀り地蔵堂と称せられた、堂于を建立して徳正寺と改めらた。
別堂に安置されております「子安地蔵尊」は、行基菩薩の作と伝えられています。
「お亀さん」の名で親しまれる延命無量慶亀尊天は、その昔大足の海岸に打ち上げられた大亀を祀るものです。
毎月二四日に地蔵講。
願掛けの千体地蔵尊霊場。
御本尊・大通智勝仏 別堂・子安地蔵尊
法の雨 降りかかる身の 徳生寺 道大足に 知らで行く人
知多郡武豊町字里中92番地
電話:0569−72−0870
第25番札所 法輪山円観寺 (天台宗山門派) 室町時代の建立で白雲山円光坊と称した天正2年(1574)白山城址の現在地に移り、今の山号寺名に改める。
お堂は千石船隆盛時の文政の頃、建立の総ケヤキづくりです。
境内は白山城跡で、中庭には樹齢五百年を越える山茶花の大木があります。
寺宝として江戸期の小野市郎筆になる「襖絵」を改装した屏風。
毎月十日に護摩供の祈祷が行われます。
<<白山城>> 河和の戸田氏の一族戸田法雲が守る。
南攻する水野信元軍に城は落城。
城跡には鎮守の白山神社が残る。
御本尊・阿弥陀仏 別堂・金毘羅大権現、西国三十三観音
円らかに 観給ふ弥陀の 慈眼には 富貴も貴財の 別ちなからむ
知多郡武豊町富貴字郷北97番地
電話:0569−72−0511
開山所 達摩山葦航寺 (曹洞宗) 当山は元亀元(1570)年、和叟玄光和尚により開創されました。
開山所と称されるように、当山は知多四国を開かれた三開山の一人、武田安兵衛行者ゆかりのお寺です。
武田安兵衛、法名は廻翁行者。
天明8年、四国讃岐に生まれ、21歳のとき養父病没。
33歳で故郷を離れ諸国遍歴へと旅立っています。
その旅の途中、知多半島を訪れ各地の社寺を巡拝。
3年後、再び知多を訪れ、南知多大井の医王寺・宝乗院に止住しました。
霊場開創の発願者、亮山和尚と安兵衛行者は、和尚が本四国を遍歴された数年前すでに運命的な出会いがあり、この宝乗院時代に再会し、行者は霊場開創のため東奔西走することになります。
そして、各札所に本四国霊場の御土砂を納め、大師尊像をまつる大業を成就された翌年の文政8(1825)年、38歳で当寺十王堂で没し当寺におまつりされています。
御本尊・釈迦牟尼仏
一筋に 八十八と 願立てて 布土の縁で なるぞはたせり
知多郡美浜町大字布土字平井131番地
電話:0569−82−0731
時志観音 慈雲山影現寺 (曹洞宗) 永正元年(1504)開創 観音堂本尊の12面観音像は天正4年(1576)佐久島の漁夫の網にかかって出現したという。
佐久島の草庵に祀られたその尊像は、やがて故あって対岸の時志に移られた。
慶長11年(1606)徳川義直公が尾張一円を巡察の途中、この観音堂に休息され、その由来に深く感銘され、荒廃した堂宇を修復し安産祈願されると霊験高く、無事男子ご誕生、以後代々帰依篤く、寺紋に三つ葉葵を用いるなど尾張徳川家の庇護を受けていた。
御本尊・釈迦牟尼仏
時しらぬ 利益は いつも 有明の 月の光のいたらぬはなし
知多郡美浜町大字時志字南平井86番地
電話:0569−82−0041
第26番札所 龍華山弥勒寺 (曹洞宗) 慶長元年(1596)友林光益和尚の開創。
宝暦3年(1753)火災で焼失。
明治40年本堂。
昭和3年弘法堂が再建された。
境内の美しく刈り込まれたウバメガシの古木が、歴史の流れを伝えております。
又、当寺の南方には「河和城跡」があ り、城主の戸田孫八郎守光は、小田原合戦で戦死、その墓は「旧跡さん」と呼ばれ、美浜稲荷として信仰されています。
  三十三観音の二番、梅花観音の二十八番でもあります。
御本尊・弥勒菩薩
露の身も 経は嬉しく 北方の 弥勒寺尊の あかつきにある
知多郡美浜町大字北方字西側16番地
電話:0569−82−0511
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