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”歩いて巡拝(まいる)知多四国”
第11回コース(距離11.0km)
開催日: 平成20年10月18日(土)
受付: 朝倉駅 (受付時間/8:30〜10:30) 
コース: 朝倉駅(スタート)…(79)妙楽寺(開)妙楽寺(78)福生寺(72)慈雲寺(76)如意寺(74)密厳寺(75)誕生堂(73)正法院(77)浄蓮寺(80)栖光院(81)龍蔵寺…寺本駅(ゴール)
<凡例>  … 徒歩
 ── バス
  〜 船
(00)札番 (外)番外
(開)開山所
 
交通: 常滑線「朝倉」駅下車
(名鉄名古屋駅から約25分)

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参加方法・コース 名鉄中部支配人室 TEL 052-882-8697 (月〜金曜10:00〜17:00/土日祝は休業)
電車の時刻・運賃 名鉄お客さまセンター TEL 052-582-5151(月〜 金曜8:00〜19:00/土日祝8:00〜18:00)
当日の開催可否 名鉄太田川駅 TEL 0562-32-0236
第79番札所 白泉山妙楽寺 (真言宗豊山派) 明徳元年(1390)に開創。
その当時は七堂伽藍を有し、広大な寺領を持つ後花園天皇の祈願所と伝えられる。
天正6年(1578)の兵火の時、殆ど焼失し、その上豊臣時代には寺領も没収され、寺運は衰退した。
寛永12年現在地に再興しました。
知多四国88ケ所霊場を開祖した亮山和尚の住職寺。
38歳(1809年)で開山の大誓願をなされました 開山所には、知多四国霊場の開創に関する貴重な品々を始め、亮山和尚の御遺品が伝わり毎年四月に展示されます。
御本尊・大日如来
磯辺ふく 松風の音も 妙楽寺 波はしつやか 光るたのしさ
知多市新知字下森29番地
電話:0562−55−3510
開山所 白泉山妙楽寺 (真言宗豊山派) 当寺は明徳元(1390)年に開創された古刹で、知多四国霊場開創の発願者、亮山阿闍梨は当寺第13代の住持をつとめています。
亮山和尚は安永」元年(1772)犬山市の犬山藩士の次男の生まれました幼い頃から賢く、早くから出家の志を持たれ、名古屋東照宮の守護寺である天王坊の第26世・亮厳法印に師事し、文化3(1806)年当寺の住職となられました。
その3年後、和尚38歳の時、文化6年3月18日、大師の霊夢により知多四国霊場開創を発願され、以来88ヶ所霊場となるお寺を捜し求める。
行者半蔵という協力者を得、また後、行者安兵衛の同士を得、師は本四国を巡拝すること三度、16年もの苦心の歳月の末、文政7(1824)年3月、大願を成就されました。
当寺大師堂に、白河楽翁公より「光明殿」の額が寄進されているように、亮山師は灯台建設、河川改修の計画などにおいても優れた学徳兼備の高僧と仰がれ、弘化4(1847)年、奇しくも発願の日と同じ3月18日、76歳で入寂されました。
御本尊 ・大日如来
知多四国 開き給ひし 亮山の徳は かほりて法の花さく
知多市新知字下森29番地
電話:0562−55−3510
第78番札所 宝泉山福生寺 (真言宗豊山派) 永禄3年(1560)開創。
以後、大正2年の大火にあって、焼失し文献なし。
当寺では、「やけん大黒天」に因み、境内にも別の大黒天像をお祀りいたしています。
コンクリート造りの此の大像は、信者の寄進によるものです。
脇立ちに鎮座します木像・大黒天は、世に「やけん大黒天」と呼ばれ、厄除け・開運の守護仏としても霊験あらたかです。
御本尊・不動明王
幸よきを 祈りかいある 福生寺 不動のこころ 夢な忘れじ
知多市新知宝泉坊19番地
電話:0562−55−3699
第72番札所 白華山慈雲寺 (臨済宗妙心寺派) 妙心寺派十刹にの一つに数えられていて、正平5年(1350)に宮山城主源範光が開祖し、夢想国師が開山。
ご本尊は千手洗眼観世音菩薩、恵心僧都の作という「尾張名所図会」にもあるように県下の名蹟の一つです。
寺宝として、開基の源範光公愛用の「兼光の刀」。
一条兼良「一色禅門悼文」等が伝わっております。
又、当山の美しい風格は古くから多くの人々に親しまれ、江戸時代に作られた尾張名所図絵の中にも「名勝名蹟」の一つとして記載されています。
特に堂々たる大伽藍と、広大な山を背にした門景は特に優れています。
御本尊・千手千眼観世音菩薩
嬉しくも 慈雲たなびく 寺に来て 御名を唱ふる 法の声々
知多市岡田字太郎坊108番地
電話:0562−55−3082
第76番札所 雨宝山如意寺 (真言宗豊山派) 後鳥羽天皇勅願所の雨宝山如意寺一山九坊の本堂です。
如意寺本堂は明治20年、古堂の由緒を持って内務省より勅銀と保存金を下賜されている。
76番札所は元々一山の実相坊にあったのが廃寺となった為、この本堂に移された。
本尊・地蔵菩薩は運慶の作。
「雨宝山」の山号が示す通り、「雨乞いの本尊」として数多くの霊験が伝えられる秘仏です。
又、八十年に一度しか開帳されない地蔵菩薩に多くの信仰者が参拝されます。
御本尊・地蔵菩薩
有難や 六道能化 地蔵尊 諸仏にまさる 慈親貴とし
知多市佐布里字地蔵脇
電話:0562−55−3043
第74番札所 雨宝山密厳寺 (真言宗豊山派) 雨宝山如意寺一山四坊のうちの一坊。
此の寺は、弘法大師の祈願所でもあります。
観音様の御慈悲と、境内にお祀りする天神社は、天神様の知恵が授かる御寺でもあります。
御本尊・地蔵菩薩
一筋に 正しき法の 道行ば 迷いの夢も やがて晴れなん
知多市佐布里痣地蔵脇24番地
電話:0562−55−2473
第75番札所 雨宝山誕生堂 (真言宗豊山派) お札所を開祖した時、75番札所は泉蔵坊に奉安したのですが、明治6年、寺院廃却令により、無住無壇だった為、廃寺となる。
が為、75番札所として、正法院境内の山上に建立された 「誕生堂」のいわれは、四国霊場第七十五番札所「善通寺」が、弘法大師御誕生の地でることに由来しているものです。
その「誕生堂」に続く四〇段の石段一つ々に、時代の荒波を超えて受け継がれて、知多半島に於ける大師信仰の素朴な原型が刻み込まれているようです。
御本尊・弘法大師
何時までも 色は香へど 弘法の 徳は言葉の 花ぞ目出度し
知多市佐布里字地蔵脇
電話:0562−55−3043
第73番札所 雨宝山正法院 (真言宗豊山派) 元暦元年(1184)に後鳥羽天皇の勅願所として創建された 雨宝山如意寺正法院、一山九坊の本坊です。
この形式は南知多町大井の医王山一山四坊、美浜町野間の大御堂寺一山三坊、と同じ一山形式の寺院です。
往時は幾多の寺領を有し、壮大な伽藍が立ち並んでいたと言われています。
慶応年間、風害によって寺門が大破したが、中興開山で七堂が建立された。
しかしその後も、戦乱が幾たびも襲い一山九坊と共に焼失し、本堂だけが残った。
明治初年の寺院廃却令によって、一山四坊を残すだけに。
<<佐布里池&佐布里梅林>> この一山の背中合わせに東に位置する 昭和40年5月、「佐布里調整池」として完成。
佐布里の山と谷を囲んだダムに愛知用水を通じた木曽川の水がたたえられ、農業用水、工業用水として近隣に供給される
御本尊・地蔵菩薩
一筋に 正しき法の 道行ば 迷いの夢も やがて晴れなん
知多市佐布里字地蔵脇
電話:0562−55−3043
第77番札所 雨宝山浄蓮寺 (真言宗豊山派) 当寺は、「雨宝山如意寺」の一山九坊中の一院として創建されております。
近くには、早春の梅を始め四季折々に美しい風景を見せる所が有り、多くの参拝者が訪れてきます。
又、弘法大師が立てた杖から、芽が出来て竹藪になったそうです。
その竹で箸を作ったと伝えられます。
七十七歳は喜寿と言う語呂から、七十七番には「長寿箸」「中風除け箸」等が有り、参拝者に喜ばれております。
御本尊・不動明王
浄き蓮 うてなの上に 生れんと 動かぬこころ 仏ともみん
知多市佐布里字地蔵脇36番地
電話:0562−55−3614
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