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”歩いて巡拝(まいる)知多四国”
第12回コース(距離10.5km)
開催日: 平成20年11月1日(土)
受付: 朝倉駅 (受付時間/8:30〜10:30) 
コース: 内海駅(スタート)…(48)良参寺(49)吉祥寺(56)瑞境寺(52)密蔵院(53)安養院(51)野間大坊(50)大御堂寺(55)法山寺(57)報恩寺…知多奥田駅(ゴール)
<凡例>  … 徒歩
 ── バス
  〜 船
(00)札番 (外)番外
(開)開山所
 
交通: 知多新線「内海」駅下車
(名鉄名古屋駅から約60分)

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参加方法・コース 名鉄中部支配人室 TEL 052-882-8697 (月〜金曜10:00〜17:00/土日祝は休業)
電車の時刻・運賃 名鉄お客さまセンター TEL 052-582-5151(月〜 金曜8:00〜19:00/土日祝8:00〜18:00)
当日の開催可否 名鉄太田川駅 TEL 0562-32-0236
第48番札所 禅林山良参寺 (曹洞宗) 天正13年(1585)に開創。
享保18年(1733)に現在地移転建立。
文政元年(1818)に庫裡を再建。
弘化2年(1844)に本堂再建。
お助け大師と呼ばれ、昭和四年に大正講中に参詣された服部あきさんの見えぬ目が開眼し、昭和五十年には病院でも治らぬ近藤さくさんの皮膚病が治るなど霊験もあらたかであります。
日本最初の聖書和訳で知られる千石舟「宝順丸」の漂流民・三吉の菩提寺でもあります。
<<和訳聖書発生の地>> 小野浦出身の宝順丸船乗り、音吉、岩吉、久吉の3人は遠州灘で遭難し14ケ月漂流の末カナダに着き、カール・ギュッラルによる我が国初の日本語訳聖書の出版に協力する。
三浦綾子作「海嶺」にこの3人は登場するという。
三吉(音吉、岩吉、久吉)の碑はこのお寺へ来る途中にあります。
御本尊・聖観世音菩薩 別堂・御助大師
はるばると まゐる禅林 良参寺 吹き来る風も 御仏の声
知多郡美浜町大字小野浦字清水18番地
電話:0569−87−0275
第49番札所 護国山吉祥寺 (曹洞宗) 慶長10年(1605)開創。
ご本尊釈迦如来と毘沙門天王を祀る。
別堂に安置されております毘沙門天は、行基菩薩の御作で、一本をもって三体を刻み、他の二体は、常滑市の広目寺と碧南市棚尾の寺に安置され、日本三体と伝えられています。
御本尊・釈迦牟尼仏 別堂・毘沙門天
何事も 吉祥なれと 祈る身は やがて幸よき 因縁ぞ来む
知多郡美浜町大字野間字桑名前24番地
電話:0569−87−0089
第56番札所 祥雲山瑞境寺 (曹洞宗) 文禄元年(1592)の開創 宝暦7年(1758)に伽藍新築 天保4年(1834)に書院築工。
当寺の薬師堂に安置されております「薬師如来像」は、行基菩薩の御作と伝えられ、其の厨子には菊と桐の金紋が許されています。
御本尊の白衣観世音菩薩は、日本三躰の中之一躰とも言われています。
御本尊・白衣観世音菩薩
慈悲の目に にくしと思ふ ものはなし 咎あるものは あはれまします
知多郡美浜町野間字 松下85番地
電話:0569−87−0139
第52番札所 鶴林山密蔵院 (真言宗豊山派) 50番札所の大御堂寺の一坊であった。
白川天皇の勅願所ー大御堂寺一山14坊の一つで宝乗坊であった。
宝暦年間に密蔵院に改称。
慶長16年(1611)徳川家康公から拝領した250石のうち、当院は25石拝領、この地の栄枯と共にある。
当寺の裏山には、源義朝公を討った長田忠致が、張り付けの刑にされた「長田の磔松」があり、史蹟巡りの場所にもなっています。
当寺は「かじとり観音」として良く知られ、家庭平和、勉学、悩み病む人の指針となっています。
盗難除け御札もあります。
大祭は毎月・八月十八日に行われる。
御本尊・不動明王
法界を 平等に見る 御仏は 密蔵院に 輝きてます
知多郡美浜町大字野間字松下105番地
電話:0569−87−0308
第53番札所 鶴林山安養院 (真言宗豊山派) 大御堂寺一山の一院で「南の坊」と号。
宝暦年間に「安養院」と改称。
明治8年、一山六坊のうち、三坊を併合。
文化財の本尊「弥陀三尊仏」をはじめ「せき地蔵」をお祀りしています。
此の「せき地蔵」は霊験あらたかで、せき、ぜんそく、勿論の事、眼病、神経痛など諸々の病に効果があります。
この安養院は、織田信長の三男・三七郎信孝公生害の寺で遺品の短刀、臓腑を投げつけた軸、辞世の句、自刃の間が現存。
ここのご本尊は永歴年間鎌田政清の次男正直が、父母菩提を弔おうと祀った念持仏で、彼は当院で念仏三昧で終えたという。
やがてその子孫は野間姓を名乗るようになった。
天正11年(1583)羽柴秀吉に岐阜城を追われた織田信孝は、当院で自害した。
御本尊・阿弥陀如来 観世音菩薩・勢至菩薩
野間の月 見れば心の ますかがみ おのが浄土は いかでくもらん
知多郡美浜町大字野間字東畠90−1
電話:0569−87−0288
第51番札所 鶴林山野間大坊 (真言宗豊山派) 建久元年(1190)源頼朝はこの地を訪れ、家臣鎌田政家と平康頼の墓、池の禅尼の経塚を築き ついで大伽藍を再建し、高野山から僧侶を招いて、大法要を行った。
県指定史蹟で、江戸時代の尾張名所図絵にも名勝として記載されています。
国重要文化財の梵鐘をはじめ、弘法大師筆般若経や徳川家康公、豊臣秀吉公からの寄進物、建物等、多数の寺宝が伝わっています。
又、源頼朝公の最期の絵もあり有名であります。
野間大坊のご本尊「開運延命地蔵尊」は、頼朝の守り本尊であったという。
<<開運延命地蔵尊>> 平清盛の継母、池の禅尼の守り本尊であった。
お地蔵様を頼朝に授けたものです。
頼朝はこのお地蔵様を「開運延命地蔵菩薩」と名付け、父義朝の廟参と供養の為に奉ったという。
その後、頼朝の開運出世にちなんで、大願成就のご利益を授かるといわれ、庶民の詣でも多い。
御本尊・開運延命地蔵尊
昔より いとも名高き 大坊に 白豪の光り 見るぞ嬉しき
知多郡美浜町大字野間字東畠50番地
電話:0569−87−0050
第50番札所 鶴林山大御堂寺 (真言宗豊山派) 天武天皇の時(680年頃)ある行者が庵をいとなむ。
聖武天皇の時(738年頃)僧行基が開創。
阿弥陀三尊を安置して「阿弥陀寺」と称す。
大同年間(806年頃)弘法大師が留錫。
白川天皇の承暦年間(1080年頃)勅願寺となり、大御堂寺と命名賜り、一山十四坊の名刹となった。
県史跡の「源義朝公廟所」をはじめ、「平康頼・池の禅尼経塚」「鎌田正清夫妻墓」「織田信孝墓」などを境内にお祀りしています。
源頼朝公建立の大門、血の池、頼朝公寄進の大般若経六百巻の他、現在、徳川義直(尾張藩主)公寄進の義朝公最期の図による絵解は広く日本中に知られております。
ここでは願い事を書いた木太刀を奉納する。
本尊は、ボケ除けで頭が賢くなり、弁天様は縁結びに効くそうです。
石から石へ渡る行事もあります。
御本尊・阿弥陀如来
大御堂 弥陀の光りを 眺むれば 後生を願う 心起らん
知多郡美浜町大字野間字東畠55番地
電話:0569−87−0050
第55番札所 曇華山法山寺 (臨済宗天竜寺派) 聖武天皇の神亀年間(725年頃)僧行基が開創。
弘仁年間(810年頃)弘法大師が留錫。
正和年間(1314年頃)夢想国師により七堂を再興し禅を揚した。
源義朝が討たれた湯殿跡の冷泉が当寺にある。
「源義朝公湯殿旧蹟」は、義朝公の家臣であります金王丸等の戦いの場所「乱れ橋の碑」、義朝公の胴塚「仙人塚」等の史蹟があり。
  又、秋の旬に出る「たいみん竹」も見られます。
御本尊・御湯殿薬師如来
法の山 聞くも嬉しき 薬師尊 病いなかれと 頼め祈れよ
知多郡美浜町大字野間字 田上50番地
電話:0569−87−1073
第57番札所 乳竇山報恩寺 (曹洞宗) 大治年間(1128年頃)、野間で義朝とともに討たれた鎌田政清の母が開創。
永正年間(1510年頃)東浦緒川城主水野貞守の嫡男賢昌が再建し、この時曹洞宗に改宗。
昔、此の地では雨水を飲料していましたが、弘法大師が立ち寄られた際、金剛杖で裏山より湧き水を出された霊水があります。
又、大師一夜彫りの石造観音もお祀りしています。
薬師如来は上半身、一夜彫り観音は下半身。
御札を頂き念じて下さいませ。
番外、曹源寺におきましては、大正十二年に岡山県の岡田長五郎氏が不自由な体で、犬に引かれて参詣しした所、立ち上がる事が出来其の時まで使用していた躄車が奉納されています。
御本尊・西方如来 別堂・持経観音大菩薩
現当の 二世の安楽 弥陀如来 こころ奥田の 報恩の寺
知多郡美浜町奥田会下前39番地
電話:0569−87−0438
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