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”歩いて巡拝(まいる)知多四国”
第13回コース(距離10.5km)
開催日: 平成20年11月15日(土)
受付: 内海駅 (受付時間/8:30〜10:30) 
コース: 内海駅(スタート)──(外)浄土寺(35)成願寺…上陸大師…(30)医王寺(31)利生院(32)宝乗院(33)北室院(34)性慶院(29)正法寺…鯛まつり広場(ゴール)──内海駅
<凡例>  … 徒歩
 ── バス
  〜 船
(00)札番 (外)番外
(開)開山所
 
交通: バス/内海駅〜浄土寺 500円
    鯛まつり広場〜内海駅 500円

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参加方法・コース 名鉄中部支配人室 TEL 052-882-8697 (月〜金曜10:00〜17:00/土日祝は休業)
電車の時刻・運賃 名鉄お客さまセンター TEL 052-582-5151(月〜 金曜8:00〜19:00/土日祝8:00〜18:00)
当日の開催可否 名鉄太田川駅 TEL 0562-32-0236
龍亀霊場 青泰山浄土寺 (曹洞宗) 昔は東方寺と言ったらしく、本尊は行基菩薩の作 と伝えられる木製の「薬師如来坐像」。
この小佐地区は個数30戸程で、漁港として賑やう隣りの須佐(豊浜)には頭が上がらなかった。
いつの頃からか須佐の人たちは、「小さな小佐にあんな立派なお薬師さんはもったいない」と言い出し、明治6年に、強引にこのお像を須佐の寺へ移し、東方寺は廃寺とされた。
その後、明治20年、小佐の人たちの必死の努力で今の本堂を建立して、隠してあった「胎内仏」を奉安したという。
御本尊・薬師如来
波の音 みのりの声ぞ 小佐のア 浮かぶ心の亀ぞまつれる
知多郡南知多町大字豊浜字小佐郷1番地
電話:0569−65−0359
第35番札所 神光山成願寺 (曹洞宗) 弘法大師が聖崎に上陸された時、この地域に悪病が流行しているのを見て、当院を訪れた大師は、「厄除けの法」を修法の護摩祈祷を行いこれを救われた。
こうした弘法大師の霊験に別堂の修行大師像を祀り、時代が過ぎ、元和元年(1615)笑山禅師は この霊跡の荒廃を惜しまれ、堂宇を再興開山されて曹洞宗に改宗された。
当寺には、此の悪病除け、災難除けで霊験あらたかな「厄除修行大師像」を、お祀りしています。
又、円空作で笑い顔の素晴らしい高さ一米の「竜神像」も安置されています。
御本尊・阿弥陀如来
慈悲深き 弥陀をと頼む 成願寺 利益をうけよ 思ふまにまに
知多郡南知多町 片名碑田9番地 
電話:0569−42−0402
第30番札所 宝珠山医王寺 (真言宗豊山派) 神亀2年(725)行基菩薩が開創と伝えられ、秘仏薬師如来を安置。
草創当時は部落の西方「佛山」と言われる千林にありましたが建暦2年(1212)現在地に移転され それ以来、天正5年まで寺領百八十貫を拝領し、仁王門も経堂も備わり、十二坊の塔頭にあった。
しかし、700年余の歳月の間に寺領も伽藍も失われ、ここ大井の四坊と、師崎の遍照寺、篠島の医徳院、日間賀島の大光院との七坊だけを残すのみとなった。
現在は無住で、藤原時代から伝わると思われる医王寺の寺宝は、他の四坊で年交代で管理され ている。
江戸時代の享保二十年に奉納された「絵馬」(鳥居清信・画)が伝わっています。
大師堂の傍らに、知多四国霊場開山の一人、武田安兵衛の墓がひっそりと眠っています。
医王寺を通称 お薬師様と呼ばれております。
御本尊・薬師如来 別堂・太子堂・阿弥陀堂
大井潟 救世の舟に 棹さして 渡るも嬉し 法の医王寺
知多郡南知多町大井字真向38番地
電話: 
第31番札所 宝珠山利生院 (真言宗豊山派) 明治中頃、仏山堂塔の「布目瓦」が道路工事の折りに出土し、此の瓦は平安末期のものと推定されています。
利生院は丹塗りのもんだから通称「赤門寺」と呼ばれています。
昔は沢庵を接待しましたので沢庵寺。
今は、まな板寺とも称されております。
御本尊・不動明王
阿字の原 絶えなく八つの 風吹けど 利生のちかひ 不動磐石
知多郡南知多町大井字真向27番地
電話:0569−63−0233
第32番札所 宝珠山宝乗院 (真言宗豊山派) 知多四国霊場開創の時、当院住職広修法印は札所開設に協力し、安兵衛行者を長く住まわせていました。
御堂の手前に「荒神様」がお祀りしてあります。
大井28社中で、歯痛に御霊験ありと参拝されております。
旧暦十月十日の大権現護摩供の縁日は盛んである。
恵比寿明神、大黒天も一月五日に餅投げ等の行事があります。
御本尊・十一面観世音菩薩  別堂・金毘羅大権現
宝乗の 峯にたなびく 白雲は 我が身をのせて 花の浄土へ
知多郡南知多町大井字真向34番地
電話:0569−63−0844
第33番札所 宝珠山北室院 (真言宗豊山派) 北室院より約一キロの所に聖崎がありまして、此の地に弘仁五(814)年に弘法大師が知多半島に初めて足跡をしるされた場所と言い伝えられ、1150年遠忌を記念して「上陸大師尊像」が建立されており、納経所になっています。
宝珠山一山四坊は辛くも塔頭寺院の形式を引継いでいます。
医王寺本尊、薬師如来の命日には、梵鐘が打たれ、四坊の御住職が総出社で祈願、古伝統を継承している。
「医王寺本尊薬師如来」 行基の作で、三河鳳来寺、須佐光明寺の薬師如来と同木の尊像と伝えられる。
御本尊・聖観世音菩薩
東西 南と心 迷へども 詣る浄土は 北室の寺
知多郡南知多町大井字真向11番地
電話:0569−63−0308
第34番札所 宝珠山性慶院 (真言宗豊山派) 弘法大師が唐から帰朝してのち、弘仁5年(814)、まだ沙門空海と名乗られた頃、諸国教化の折に聖崎から知多郡に入られ、仏山で巡錫の歩を留め21日間の護摩を修し、伽藍を再興なさったと伝えられている。
弘法大師は中興の開山であり、ご入定後ほどなく承和5年(838)祖師堂を建立、一時断絶、その後大師堂として再建されました。
高木氏累代の墓は、稲荷殿横に静かに祀られています。
当院境内には「福寿稲荷大明神」が祀られておりまして、多くの信者の尊崇を受けています。
毎月十五日が縁日で、大祭が開かれるのは正月十五日に催されます。
御本尊・青面金剛 別堂・正一位福寿稲荷大明神
来てみれば 性慶院に 花飾り 菩提の種を 結ぶうれしさ
知多郡南知多町大井字丘の下1番地
電話:0569−63−0682
第29番札所 大悲山正法寺 (天台宗) 野間大坊で長田忠致により源義朝と共に殺害された家臣鎌田兵衛正清の屋敷跡で、天福元年(1233)比叡山の僧、徹円阿舎利が草堂を建て、鎌田正清の念持仏であった毘沙門天像を安置し護摩堂を建立したのが創まり。
当寺には、鎌田兵衛正清の墓碑がお祀りしてあり。
大凡六〇〇年ほど前の永徳二年に写経された「大般若経二百巻」は、南知多町の文化財にも指定されており、当時周辺には大城、大門、御門坂、加増、七つ山などの地名が残り、往時を偲ばせます。
千枚通し霊場です。
御本尊・毘沙門天王
迷はずに 正しき法の 道行かば 山田に残す 毘沙門の徳
知多郡南知多町大字豊丘本郷
電話:0569−65−0271
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